MALINO YOGA (旧Yoga心クリア橿原)


お友達のお家に遊びに行く感覚で、気軽にお越しください♪


古典的でシンプルなヨガを。


習慣にできるよう続けやすい価格、


キャンセル料や会費一切無しで、


心にもお財布にも優しく、お気軽に。


人目気にせず自心と向き合うひとときを。


暖炉のある少人数ヨガ教室

都度払い1200/1h 

場所詳細、ご予約はLINEにてどうぞ。

LINE ID:@yoga_sin 

LINEの、ID検索より、友達追加して頂き

そちらよりご連絡お願いいたします😊


アメブロ  blog↓今後ブログはアメブロをご覧下さいませ😊

https://ameblo.jp/yoga-sinclair/

Insta

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大自然の美しい風景の小さな隠れ家ヨガ教室です。


望む山から吹き降りた風と

鳥たちの唄声を感じながら

のんびりと

それぞれのペースに合わせて行っています。

寒い季節は暖炉(薪ストーブの温もりと音と共に)


直前キャンセルも無料となっております。

何故ならば、、


心や体がしんどい人にこそ通って欲しい=

続けてほしい=続けないと得られない内側の変化に出会ってほしい。

そんな、ヨガの本質…から逸脱したキャンセル料を徴収するようなシステムや、月謝縛りなどを行うヨガスタジオを私は信頼できません

自分の信頼できないものを提供できません


ですので


煩わしい縛りを解放することにより

気負うことなく続けやすくなっております。

駐車スペースも4台分ありますよ〜!

以上!ご拝読下さり感謝申し上げます。

お越しをお待ちしております〜!٩( 'ω' )و














\3児母48cmウエスト独自メソッド/

LINE ID➡︎@yoga_sin

1200円、初心者、シニア歓迎!少人数


体の使い方の癖の積み重ねが今の自分の身体に現れているように

心の使い方の癖の積み重ねが今の心を顕しています

深く、自身と向き合うことで自分で創り上げてしまった心のフィルター(癖)を取り外す心の鍛錬がヨガであると考えます


ヨガとの出会

ヨガの真理に出会うべくした人生でした

十代の頃、苦しくとも生きる為、心と対話を続けました(後に知る瞑想)

二十歳の頃、

風に揺れる道端の草、空に流れる雲をみて

心の落ち着きを得られることの幸せに涙しました


後にヨガを学び

教典の一文は

既に自分の中に出会っていた一文でした

"安心は幸せの始まりから終わりその全て"


⚠︎犬がいます。レッスン中はご希望により別場所へ移動可ですが毛のアレルギーや神経質な方はご遠慮下さいますようお願い申し上げます



気軽に身軽に♬手ぶらでOK!無料マット貸出

RYT200全米ヨガアライアンス講師が丁寧に教えます。

お時間出来る限りご要望に応じます!

レッスン 平日10〜14時までの間できる範囲でお時間融通おききします。


交通手段の難しい方には送迎(往復700円)

相談出来る限りお受けいたします。

○完全プライベート〜少人数制  

○大人数の苦手な方、初心者の方、シニアの方、痩せる体作りをしたい方、感染予防重視の方など


ジムなど大勢の流れですすめられていくスポーツヨガでなく、

沢山入り混じる人の気や比較など意識を外に向けず、

静かに内観し、自分と向き合いたい方。


〜シニアの皆様〜

寿命には脚や腰の筋肉が大きく関わります。

寝たきりにならないよう、人生を永く愉しめる体づくり始めましょう♬ 


素直な心を開く鍵である強さ、

自身を内観する努力が人間を変える

そして、生きやすい心を創ります


知識でなく、智慧へ。


常に知識を手に入れようと

外側へ意識を向けている心を

内側へ意識を向けて

自身の智慧を手に入れようとする心へ



知識は時に自分の心を見失い、問題をおこします。

自我が強く、自分は間違っていない、と。意見の対立、

自分にはこの知識があるから自分の考え方が正しいと

自身に執着する。対人関係のトラブルの元など。

常自身を過信せず疑う厳しさを自分に対し持ち続ける強さ。


自身を疑う強さをもち他者を尊重する思いやりという想像力をもつこと。

自分を守る成長させるはずの知識は、起こる物事ぶつかる人を介して時に傷として自分へ還されます。


何故自分はそう考えるのか

深く自身の内側をみつめること。

外側へ向ける意識を内側に向けること。


すると口から出そうとする前にその言葉を傍観する習慣がつき、口から出る言葉が変わります。言葉は自分を創ります。


ヨガは外世界(誰かの考えや意見からの情報、知識)から完全に遮断され内側を観察すること(自身の心の声を素直に訊く、自身の中に見出す心の智慧)に集中できているときそれがヨガの最善の状態であるといえます。正に瞑想状態であると考えます。


Yogaとは

日常の中のたからもの、

小さな幸せに気づき続けること

自分の心の中の落ち着きに、

それ以上でもそれ以外でもなく

満ち足りた幸せを感謝し続けること


その手の中の小さな四角い箱はいつも外の世界と繋がり

その意識は外へと向けられている


いつでも繋がることができてしまう現代

人の意識は常に外へ外へとでていこうとする

溢れた情報、限られた情報処理能力

質量は全体の2%程でありながら20%のエネルギー負荷のかかる脳は休まることを知らず働き続けます

静かに自分の内側と向き合うことを習慣に



48㎝ウエストを作った3児の母オリジナルメソッド


寒い季節は暖炉ヨガ

灯が目を浄化し、心の芯からじんわりほぐし温めます



ストレス解消にヨガ?いいえ。

そもそも、ストレスを創り出さない心づくり 

こそが ヨガなのです。

人には勿論、自分にも優しくあることを基本とするヨガ。

自分に優しい自分から、人に優しい自分、生きやすい自分へ。

苦しみを手放す=心を軽くする方法

自分の中に、穏やかさと静けさと落ち着きを感じること

ヨガで学びませんか? 


今の体=体の癖の積み重なり

今の心=心の癖の積み重なり

意識の使い方だけで体が変わる、

体が変われば心も変わる

心は目に見えないからコントロールがむずかしい

目に見える体をコントロールすることが心に繋がります。


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自己紹介

初めまして。誰もが誰かの、"変わってる人"であると私は考えますが、私も"変わってる人"です。

常に内側に意識を向けていたいので調べ物やUP記録周知以外では限りなく広がる外の世界snsInstagramやyoutubeをみません。

制御している訳ではなく頭を騒がしく乱す要因となる忙しい世界よりも目の前の静かな世界を好みます。

高揚感や刺激を求めずに、ただ静けさが幸せであることを知っているからです。

きっと現代人からすると変わっています。

ですが、"変わっている"のは良い面でもあり、だからこそ、内観を深め、もっと深い自身と心を観つめられるのですから。

この、深い自身を観つめる。

知る、手放す、真(浄らかな)の自分に出会う旅=ヨガと呼びます。


情報に溢れ静けさを心にも頭にも感じ辛い世界です。

頭から入る情報が心を動かします。

心を亡くす、と書いて忙しい。そんな日常の中、心を静止する。

ヨガとは、そのようなものなのです。




人を生き辛くする感情を司る心。

苦しみとは、大きさに比例して記憶は保守的に強化蓄積され手放すことは困難になってゆきます。


しっかりと柵(さく)で覆った世界の孤独さは自分で創ってしまった世界なのです。

苦しみ=自分自身

その柵(しがらみ)を一本ずつ抜いていく。

それは誰のためでもない、自分自身の為に。


誰かと、そして自身と向き合う強さを忘れなければ、

自分を知り手放す鍛錬ができます。

出会う人の数だけ己を知り、出会う人の数だけ心を試されます。

そして、そんな自分もいつか、人の心に寄り添えるように、苦しみがあったのだと知るのです。

全てには意味があり、意味を創ることができるのです。

この考え方は15から生き抜いた信念でしたが、

その信念は正にヨガであったのです。


"私にとっての、ヨガ"


父が亡くなった15の時、

お坊さんが私に言ったことを想わない日はありませんでした。


この世は修行。


その修行の智慧としてヨガに重なる哲学への出会いは、

インストラクターへの勉強で知識としてでなく、

上記のように自身の経験の中で体得してきたものでした。


20代の時、ふと、空に浮かぶ雲を見て涙しました

そのとき出会った心は8歳以来に安らいで雲を観つめられる久しぶりの心でした

無秩序で本能的思考の人の無責任さの代償を背負う十代の人間には重すぎる抜け穴のない暗闇のトンネルの中、逃げるであらば死だったでしょう

人の知る最初の幸せの存在、それを想う心は人質のように利用され裏切られ続けました。

それでも自分を押し殺し、想い続けるまっすぐで純粋な心は自分に大きな心の穴となりかえってきました。

十代、その人は私を頼りましたが私には頼る人がいませんでした。自分がどうにかしなくては。の愛と正義の心を利用したのは一番守ってほしいその人でしたが、それでも自分より尊重し想い続けました。

私を苦しめてでも自分の楽さの為に頼ってくるその人の力になる為四六時中考えました。

そんな自分を誰も守ってはくれませんでした

いつしか心も頭も追い詰められ、その人を想う心を持つ自分に殺されてしまうような気がしてきました。


その真っ暗なトンネルの中生き抜いた道は極限状態の連続の日々でした。

明日にも命の危機を感じるほどの生活でした。

最も大切で信頼したい存在であるその自由奔放無思慮な人間の翻弄から。


父が亡くなった15の時、お坊さんが私に言ったことを想いわない日はありませんでした。

この世は修行。

生きる為自身に向き合い続け内観し続けました

そして生き延びる為海を渡りもしました

やがて、

安心や安らぎのない永遠に続く不安だけの日々は、

教えてくれました。


風に揺れる道端の草花を眺める心の落ち着きの有り難さと幸せを。


決して、特別な場所へ行き特別なものを食べ特別な物を得ることではない

幸せは常に心の中にあり、心が決めるもの

安心は最低限であり最高である、幸せの始まりから終わりのその全てであることを学びました。


私が苦しみを越えて心に掴み取ったその一文

安心は幸せの始まりから終わりその全て

全く同じ一文は、

ヨガTT経典最初の一文に載っていることを後に知ったのでした。


高校生の頃家族に追い詰められた私はパニック症、毎日てんかんの様に倒れたりPTsDであろう悪夢や不安による不眠にもなりました。

高校生の心のキャパシティをオーバーし過ぎていたのでしょう。

心を寄せるあてもなくただ自分を守るのは自分だけ。


いつしか、笑顔を創ることさえ、できなくなっていることに気がつきました。

私は理解していることが一つだけ、ありました。

自分を守ることができるのは自分自身だけ。

そう志を持ち生き抜いた十代に同じく、

自分を救うことができるのは自分自身だけ。と。


常時、自身と環境内の人間の内側を深く深く観つめ続けました。

やがて人間といういきものの傾向やその要因、その弱さが観えてきました。

最も信頼したい人に傷つけ続けられてきた経験は自分に対し否定的な感情や人間不信による問題の引き金となります。

また、苦しみは大きいほどに理解を求める気持ちも大きくなり理解してもらえない苦しみは孤独感を深め自分を守る為に殻にこもって鍵をかけてしまい人間関係にも影響を与えてしまいます。


誰も悪くない。悪いのは、理解を求めてしまう側なのにね。

理解を求めてしまうような苦しみを与えてしまう人なのにね。

けれど、

苦しみを与えてしまう人をもきっと、

苦しみを与えられ続けた人だったのでしょうね。

そして、ここでよく聴く言葉の意味を知る。


人間は弱い。


自身に都合よく生きようと。捉えようと。楽をしようとする。


私が植物を愛したきっかけは、

植物は人を傷つけないから。自分の為に人を傷つける人ばかりの世界にうんざりしていたから。

植物は強い。黙って成長する。

その上、植物は心に静けさをくれる。

そのように人間も在りたいものですが

難しくするものは常に感情です。

感情を司る困難さとの永遠の修行

感情との付き合い方、向き合い方、手放し方

それはヨガそのものであるように感じます。


私自身、こんなにも人間の道理から離れた人間を間近で多数長年観てきたからこそ、心の中で自力で出会ったヨガであります


お陰様で、私はきっと、ものすごく

幸せを観つけるのが得意になりました


どんな状況にも潜む幸せを

季節の風や草花、小鳥の声は幸せそのものです

心の落ち着きを感じられます

感じられない世界を知っているからこその賜物であると感じます


散歩道を歩くだけで心は満たされます

大切な人に費やす時間や精神は幸せそのものです

それをも越えて在る自我は破滅的で哀しきものです

自我を手放す手段としてヨガという智慧があります。


若くとも、自身の体験を経て、知識ではなく智慧として体得し続ける今も尚、毎日が心の鍛錬です

自分に負けずに生き続ければ、

苦しみを意味に変えることができる

自分を克服し続ける。

それは、正に、ヨガの真髄。そのものだったのです。


自身を知るということは、手放す最初のスタートライン。

手放すことが少しずつ出来てきたら、心にゆとりがうまれます。

そして、

そんなにも酷い言動の要因までに、相手の背景を想像すること。自身の心(感情)を越えて相手に心を寄せること。

あなたがどうしてそうなったのか。のように、

相手がどうしてそうなったのか。

どうか感情的な自分を手放し論理的な自分へと。

相手の背景や思考傾向を考察することで観える新たな自分も学べます

どんなに批判を下したくなる人間にもまた背景があるものです。それが理由に値し許される行いであってはなりませんが。

人間は理解を求める弱いいきものです

そして人間は経験範囲内でしか理解や共感をし難い弱い生きものです

孤独の底なし沼に溺れてしまう弱い生きものは

自分を守る武器として嘘で傷つけます。

その嘘は相手だけでなく自分を傷つけていることにも気づこうとせずに

自分自身こそが最大の理解者であること。

その心の方法。

誰も人生を学校授業のように教えてもくれず、

だからこそ、ヨガのような思想、人生の教科書のようなものがあるのだと私は想います。

こんなにも人間の道理から離れた人間を観てこなければ、私はヨガへの情熱をもっていなかったかもしれない

そういう人間を知っていることが私の心の財産なのかもしれない。

今日もヨガへと向かわせるからです。

そしてヨガを届けたい


全ての強く純粋な人間の心に絡みつく、

弱き人間の齎す複雑な柵から、

自分から逃げずに一生懸命生きる、その心へ。



https://www.naranavi.com/
奈良の教室&スクール検索サイト「ならなら」で紹介されています。






YOGA 〜苦しみからの解放〜


求めた時点から苦しみは始まります

理解を求める、

共感を求める、

気持ちをよんでくれることを求める


人は、辛いことがあった時誰かに話したくなります

傷が深ければ深い程、

周りに理解されないことは自分を苦しめます

そして人を信用出来なくなったり、

殻にこもってしまうこともあるでしょう

人は基本的に経験範囲内でしか理解共感できない生きものです


理解を求める故に生まれる苦しみで自らを殻に閉じ込めぬよう、心を重くしないように

"人に理解を求めずヨガで自らの内側にフォーカスして"

ヨガをする事は自分の心も解放してくれます

俯瞰してまるで自分が自分の理解者になるように

ヨガは心の傷を癒やしてくれます



この体はこれまでの自身の癖の積み重ねの集大成

この心はこれまでの自心の癖の積み重ねの集大成

長年沁みついた心と体の癖を改善する難しさ

体の癖、心の癖を知ることは

手放す為の手段

自分を知り素直に認め受け止める大切さ

体のデトックスは汗、

心のデトックスは涙、のように

心と体の垢落とし

自ら垢を落とす一つの手段であり習慣


心も体も新しい自分に生まれ変わるかのような